プライド

仕事で「知恵を貸して欲しい」なんて言われて打ち合わせによばれることがある。もしくは、「会議には有識者を呼んでください」と言われた人が、俺の名前を出してくれたりすることがある。そんな時に、会議に出るけど、全く役にならない時がある。会議の後で感じる「この人、思ってるほどのチカラはないのかも」っていう雰囲気をバリバリに感じることがある。自分で役に立たなかったと思っているからこそ、そういう負の見方をしてしまっているのかもしれない。

足掻くよね。会議の後に出席者のところに個別に行って、なんとか取り繕うとして色々言い訳してしまう。非常にカッコ悪い。その時の相手が俺を見る目っていうのが、本当に「役立たずが」の目で悲しい。

「できない」って思われたくないんだと思う。「プライドなんて邪魔なんだよ。プライドは捨てないとダメなんだ。」そう思い続けていても、捨てることができないのがプライドの厄介なところ。わからないものはわからないから、正直に「わかりません!!」って言える。だけど、できないって思われているということが我慢できなかったりする。俺の基準はどうなってるんだ、って自分に投げかけたくなる。1年生の子に頼んで資料作ってもらうことは平気なのに、このプログラムの仕様を答えられなかった時の悔しさってのが耐えられない。本当は1年生に資料をお願いしていることも悔しい思いをして欲しいのに、その辺は平気。何が違うんだろう。

プライドなんてもんは、ない方がいいんですよ。でも、どれくらい捨てればいいんだろうか。捨てすぎて靴でも平気で舐めますっていう状態になれるのがいいのかな。それとも、ある程度は持っておいた方がいいのかな。靴の上側なら舐める、つま先らへんね。靴紐の方は意外と埃が溜まりそうだから、そこは嫌だけど。ソール近辺は絶対に嫌だ。そこを舐めるほどプライドは捨てられん、そんな状態。プライドは捨てるんじゃなくて、下げる方がいいかもね。靴を舐めるはプライドが許さん。土下座もプライドが許さん。でも、頭を軽めに下げて「さぁせん」っていうぐらいならできる、それくらいまで下げる感じでいいかな。「さぁせん」くらいの頭の下げもできないほどのパンパンのプライドっていうのは絶対に邪魔になるから、これはあって困る。なんぼあってもいいですからね、っていう話じゃない。あったら困るのがプライド。

プライドもたいしたもんじゃない。自分の気持ちに直結している部分だから、何かあった時に影響がでかいわけで、それ自体は全然薄っぺらい。誇り高きサイヤ人でもない。ただ、会議とかで「こいつはできないな」なんて感じで思われたくないっていうだけ。そして、別にこの人たちに、「だめ」なんて思われてもなんの影響もないんだから、放置しておけばいいのに。

明日、会社行ったら聞いてみよう。昨日の会議ってどういう意味だったのか。わかったふりしていたけど、全く言ってることが理解できなかったことを。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。