勉強ってどうやってやるんだっけ。教科書/参考書を開いた形での勉強ってどうやってやるんだっけ。最後にやったのっていつだっけ。多分、高校の時だと思う。大学の時って、本は読んでたし、本を読んでレポートとか書いていたけど、机に座ってハチマキ巻いて、どてらかなんか着て、雪が降る夜にラジオを聴きながら、母親が作った鍋焼きうどんを食べながら、東京にでた自分を夢見る形の勉強なんてやっていない。今自分の中で問題なのは、社会人15年目くらいになって改めて勉強しなければならいことが出てきたけど、勉強の仕方がわからないということだ。
あれ、ノートってどうやって作るんだっけ。高校生の頃は先生がしっかり考えて作ってくれた板書をノートに書き写していたので、何も考えずに字を書いていたらテストで使えるノートが完成していた。大学生の頃は先生が板書をしないから、こっちは先生のしゃべったことを適当にノートに書き写すだけ。先生の話と教科書が柱になるのではなく、教科書の話を参考書で補足して覚えながら、「あれ、これってどこのことを言ってるんだ?」という先生の発言を書き殴ったノートを見ながら、そのわけなわからなさに大きな疑問符を頭の上にだすためのものだった。
そもそも、ノートって必要なのか。なんのためにノートを取るんだろう。ノートを取らない生活が長すぎてそもそもノートがなんのために必要なのかもわからなくなった。ここでいう「ノート」は物の名前としての「ノート」とは違う。数学の問題をノートに解くけど、これはここでいうノートとは違う。大事なこととかをまとめたものをノートと言っている。このノートはなんのために作るのか。教科書の内容をまとめて書くの?でも、例えば社会なら膨大な量の歴史的事実をぎゅっと大事なところだけ抽出してわかりやすくまとめたものが教科書なんだよね。それをさらにノートにまとめる必要ってあるのか。まだ、もっとまとめて書く必要があるなら、出版社に文句言えばいいのに。教科書は重いから薄っぺらいノートを持ち運んで出先で覚えるためとかなら、取る意味はわかるけど。
勉強をするっていうと、やっぱりノートが必要だと思うんだよね。勉強がしたいのか、ノートが取りたいのかどっちが目的かわからないくらい、ノートを取りたい気持ちが大きくなっている。本屋に言ってノートの取り方を紹介した、中学・高校生向けのノート術の本を調べてみた。事例を写真付きで紹介してくれているけど、そもそもその状態をこの教科書からどうやって作り上げるのかが知りたいんだと。完成したものを解説して欲しいんじゃなくって、使用した教科書とまっさらのノートを出して、じゃあ、まず何をやりますかって話です。教科書を読むんなら、まず教科書を読んで、どうやって重要な部分を抜き出すのか、それをどうやってまとめるのか。それをどういう方法でノートに落としに行くのか。箇条書きでいくのか、図や表をかくのか。それを教えてほしかった。
とりあえず、ノート作りを先にマスターして、勉強に入る。けど、自分の性格上、ノート作りの前に、どんなノートを買おうか迷うだろう。