仕事中に長く椅子に座っていたのでストレッチをやった。手を上げて上半身を後ろに伸ばす。その時に「イナバウアー」の一言も忘れずに。そうしたら、同僚から「イナバウアーは足を横に開いて、つま先を180度開いた状態にして横に滑る技で、上体を後ろに反らすのは違う。あれは荒川静香がより美しくみせるためにやってるだけだ。だから、足と上体セットではない」と注意された。その後に、「常識だろ」と続く。
「イナバウアー」が本当に常識といえるレベルのことなのかはちょっと疑わしいけど、私にはみんなが当たり前に知っていることを知らないがために怒られたり、ばかにされたりすることがよくある。例えばどんな事でばかにされたのか、怒られたのかが今一つも例として出てこないあたりが、いかに知識に対して興味がないかということの証拠だろう。そこで嫌な思いや恥ずかしい経験をしたのに、その原因となったことを覚えようとしていない。常識に囚われてたらないもできないだろ、なんて無理矢理な言い訳も用意せず、ただ、ただ風がサッと自分の横を通り過ぎていくように気のも止めない。
でも、なんか恥かいたという記憶だけは残ってる。多分、自分の感情と連動してる記憶だから、脳にも残りやすいのかもしれない。その結果、何かやる時に「もしかしたら、自分が当たり前だと思っていることは本当は非常識なことで、とても恥ずかしいことを平然とやってるんじゃないだろうか」という臆病な気持ちがググッと頭をもたげてくる。だから、何も語らない。うっかり「ほら、雨が降った日って全身に灸をすえながら宇宙大明神様に晴れるようにお祈りするじゃん」なんて言って、周りから「えっ・・・」なんて反応もらった日には立ち直れなくなるから。
ただ、年齢と会社での立ち位置が変わってきたから、今のままではよくないということはわかっている。例えばビジネスマナーの基本のきを常識として身につけておくことの大切さよ。人話すときにまともな敬語も使えなければ、新人が教わるような名刺交換の作法だって知らない。今までは、正しい敬語が使えなくても相手に敬意を持って接していますよ、というのが伝わればOK。名刺なんて連絡先の交換だから、名刺があたかもその人の魂が乗り移っているものであるかのように恭しく取り扱う必要なんてないよね。そんな思いで今までやってきたのが実は世間一般的には通用しないことだと気づいた。バカみたいに「はは〜。いただきまする」なんて姿勢低くして相手の名刺をもらい、後生大事にカードケースにお菓子のオマケのキャラクターカードみたいにしまっておくような事をやってきたあいつが結局は正しかったのだと気づいた。
私が実はろくに常識的なビジネスマナーを身につけていな、もちろん、ビジネスマナーだけではなく世間一般の常識もないやつだってことが、広く知れ渡って、それが常識になり、みんながそれを理解した上で私と付き合ってくれる、そんなことが常識になればとっても生きやすいんだけどな、と思った。