人見知りの気持ち

私は、自分から積極的に人と接しようとしない。複数人でいるときに、一人でも知らない人がいると、大人しくなる。話をする時も知った人の方を向いて、誰に話すでもその人を通す。そう、ご存知、人見知りである。実際の私は人といるのが好きだ。もっと楽しく色々な人と話をしたいと思っている。なのに、その方法がわからない。だから、仕方なく人見知りスーツを着込んで、渋々人見知りを演じている。それでも長く続けているとそれなりに人見知りが板についてくる。今では、そこらの素人さんには、私が人見知りもモドキだということを見抜くことはできないのではないかと思う。

買い物に行った時、店員に話しかける事ができない。店員に話掛けられてもうまく対応できないので話しかけられたくもない。かといって、根の部分では人好きなので、通信販売で買うのは情緒が欠ける。どうしても欲しいものがある、だけど「これください」と指差しだけで買うことができないようなものを買いに行く時の話。話しかけられるよりも、話しかけられた方が「あなたが話しかけたから、仕方ないから聞いてあげよう」という心理的な優位性が勝手に働くのでいい。話しかけられたら、自分の欲しい商品を告げて、見せてもらう。手に取った商品が自分のイメージとピタッと合う場合はいい。「実物は少し違うな」と、一旦購入を控えたいと思った時に、「またにします」という事が言えない。つい買ってしまう。店員にうまく対応できない。

最近は、セルフレジが増えた。自分で会計をするので、店員と話す必要がない。私にとっては願っても無い未来の機械だ。なのに、このセルフレジというのは人を相手にするよりも難しい。私は自分からうまくアクションが起こせない。相手の動きに合わせて動くのは、多少はできる。セルフレジは機械だ。機械は自分から中々動かない。機械特有の抑揚のない言葉で喋るヤツを相手にどう対応していいかわからない。そうこうしているうちに、周りの目が気になってくる。セルフレジをうまく使えずに、困っている男を見る周りの目を勝手に意識してしまう。これほど機敏に周囲の目を感じる事ができるのであれば、剣豪にでも生まれていたさぞ大成しただろう。

最近、SNSで自分の世界が広がってきた。その中で会いたい人も多い。ただ、その一歩が踏み込めない。そんなウジウジとしている私だが、人見知りの反動で内弁慶の度合いは強い。実家に帰ったらこれでもかというくらい内弁慶を炸裂させる。この弁慶であればかの五条の大橋で牛若丸にも勝てるのではないだろうか。「うるせ〜よ」、「ご飯は部屋で食べるっていったじゃん!」。こんな姿しか見ていない母親は、息子がレジで見せる醜態をどう見るだろうか。

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