なんのために書くのだろうか

今日は偏頭痛で苦しみながら、仮想通過FXに張り付いていた。
少し、動揺して安値で売ってしまい損をした。
もっと下がるはずと欲を出したがために、損を出している。
「出している」と書いたのは、この日記を書いている間も損を出し続けているからだ。

「損小利大」という言葉がある。損はなるべく少なくするのが勝利への鉄則だ。
だが、あまりにも利益から反転しての損がでかい場合は、その気力が起きない。
もしかしたら上がるはず、なんて淡い期待よりも、どこまで損をするか見てやろうという気持ちが強い。
とりあえず、書き終わるまでは放置とする。

全く関係ない入り方をしたが、今日は「なんのために書くのか」ということを考えた。
お金に絡む状況が最悪なので、それほどじっくり考えてはいない。
ただ、こういうことを考えないとダメだ、ということはわかった。

文書を書く理由は、その状況によって異なる。
状況はふた通りだと思う。
自分に向けた書く時と他人に向けた書く時だ

自分に向けて書く時は例えば、メモがきや勉強のノート、そして日記などだろう。
一部、完全に自分のために書いた日記なのに、自分の死後に「資料的価値あり」という勝手な判断で人に見られているものがあるかもしれない。それも最初は自分向けに書いたものなので、こちらに入る。

他人に向けて書く文章は、いま世に出ている書籍や学校・会社で作成する資料などだろう。
一部、かなり意識が先行している人は、いずれ人に見られるかもしれないという考えのもとに日記を書いている可能性もある。それは他人向けに含む。

そのどちらに分類されるかで書く目的というのは違う。

この先も書きたいのだけれども、さっきからパソコンから「チャリーン」という音が鳴り止まない。
この音は、大口の買い注文が入った時に鳴る。
つまり、私の傷口を広げる音なのだ。
それが気になって仕方がないから、駆け足で終わらせる。

自分にむけた文章なんていうのは、自分が理解できればいいので単語でもいい。
やはり、深く考えなければいけないのは他人に読んでもらう文章を書く時の目的だろう。
他人に向けた文章というのは、「読まれること」が目的なのか「行動させること」が目的なのかで今悩んでいる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました